こんにちは、獣医師の”まるんな”です。
仏教では個人としての”私=我”が全ての苦しみの原因と考えます。
本来は存在しないはずの”個としての私”をいるものと勘違いして、必死に守ろう、もしくは無くしてしまおうともがくことが苦しみである、という理屈です。
私が存在しない?そんなこと信じられませんよね。
禅では”私”は”私以外”から出来ていると教えます。私の身体を支えるのは食物や水、地球等、私以外の要素です。私の心を形作るのは、産まれてからの生い立ち、先祖、父母、友人、出会った人達など、これも私以外の要素です。私と思っている物は私以外からしかできていません。
個人の私がいると感じるのは、一つの思考であり、感覚である、というのが禅や仏教の教えです。
思考や感覚は一時的に現れるもので、やがては消えてしまいます。
実際、”私”という感覚を捉え続けようとすると、どこへともなく消えてしまいます。
思考や呼吸などの、対象があれば、対象を捉えている”私”を強く感じるのですが、対象から独立した”私”という感覚だけを捕まえようとすると、何処かへ消えてしまうことが座禅や瞑想などで体験できます。

不快な感覚はいつでも”私”とセットです。出てきたり、いなくなったりする一時的な感覚なので、放っておけば、やがては消えてしまいます。あまり自分事として真剣にとらえず、放っておくことがオススメの対処法です。
もちろん、簡単ではないので、日々の座禅瞑想が役に立ちます。
では、また。


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